天国への階段 祖父 享年90
唐突ですが先日、祖父が亡くなりました。
とはいえ亡くなったのは唐突ではなく、まもなくだなと終末期の診断の上、家族も納得の上、入居していた施設(老人ホーム)で亡くなりました。
主な死因は「老衰」で、90歳でした。
訪問診療をしているとそれより年上の方々、100歳の患者さんもいるので、すごく長生きだったという感想は抱きませんが、統計的に、同じ年に生まれた男性のうち、4人に3人はすでに亡くなっており、十分、大往生だったと思います。
人はどのように亡くなるのか、以前こちらのコラムで解説しましたが、今回は祖父の晩年を振り返り、紹介したいと思います。
みなさまの介護の参考になりましたら幸いです。

施設入居前
祖父はもともと、祖母(祖父の妻)と自宅マンションで二人暮らしでした。

高血圧、慢性心不全、骨粗鬆症、腰部脊柱管狭窄症、腰痛症、前立腺肥大に伴う頻尿などがあり投薬治療を受けていました。
70代のころ、胃がんに対する開腹手術や、心筋梗塞でカテーテル治療を受けたりしていたことがありましたが、1年ほど前までは老人ながら元気に過ごしていました。

若い頃からヘビースモーカーでしたが、COPD(慢性閉塞性肺疾患)や肺がんにならなかったのは奇跡だなと思っています。
正確には、COPDにはなっていたかもしれませんが、生活に支障をきたしたり治療を要するほどの症状には至りませんでした。
同居祖母の認知症が進行したことと、自宅が階段で3階だったため昇降が難しくなり、夫婦で老人ホームへの転居を決めたのが3年ほど前のことでした。

食事を担当していた祖母が、食材を腐らせてしまうことが増え室内に異臭が漂うようになったり、まだあるのに次から次へと買ってきてしまうといったことが増えていました。
もともとは近隣総合病院の内科や泌尿器科、整形外科などに通院していましたが、施設入居の頃から訪問診療を利用するようになり、基本的には施設内での生活になったのでした。
持病
それぞれの持病について少しずつ解説します。
- 高血圧、心筋梗塞
これはもう、家系ですし、これまで何十年の食生活によるところが大きいです。
父もそうですし、いずれ自分も高血圧になると思っています。
喫煙などのリスク因子も合わさって、なるべくして心筋梗塞になりました。

カテーテル治療でことなきを得ましたが、終生、血液サラサラのお薬を飲むことになりました。
こちらも幸いにして、それが原因でどこかの出血が止まらなくなるという事態にもなりませんでした。
- 慢性心不全
おそらく心筋梗塞が原因で、一部心臓の動きが悪い部分があり、心不全と診断されていました。
ただ、こちらも、心不全が悪化し呼吸が苦しくなるほどになって入院治療を要することはありませんでした。
晩年には心不全によって気がついたら15kgほど体重が増え(無駄な水分が貯留してしまっていた)ましたが、体調には大きく影響しませんでした。
利尿剤といって尿の量を増やす薬を調整し、適正体重まで戻りました。
- 骨粗鬆症
骨の薬を飲んでいたおかげとは思いませんが、たびたび転倒していたものの骨折することはありませんでした。
打ちどころが悪いと骨折し、手術が必要になったり、それらが原因でたちまち寝たきりになってしまいます。
しかし祖父はほとんど最期まで、なんとか自力歩行が可能な足腰でした。

車椅子を使うようになったのは最期の2週間ぐらいだったと記憶しています。
- 前立腺肥大症
加齢によって前立腺が肥大し、大半の人が頻尿(特に夜間)をきたします。
薬で多少症状軽減はできるものの、完全に抑え込むのは困難です。
祖父も夜間何度かトイレに起きていたようです。

トイレを汚したりしていたものの、ほとんど最期まで自分でトイレに行っていました。
- 認知症
祖母と対照的に、ごく軽度でした。
多少の物忘れはありましたが、会話は通じ、意思決定も自分で行っていました。
身の回りの世話をしてくれる看護師さんやスタッフの方々に、都度名前を添えてありがとうとお礼を言っていたことは印象的でした。
いずれも訪問診療をしているとよく出会う疾患たちであり、晩年に命に関わる新しい病気(脳梗塞など)をしなかったため、最期まで施設で過ごすことができました。
老衰の兆候
思い返すと、半年〜1年ほど前から、食欲がない、やる気がおきない、と言っていたような気がします。

施設の食事がまずいと常々言っていましたが、それでも3ヶ月ほど前までは、毎食7-8割は食べていました。
残すのが悪いと言って、半ば義務感はあったようですが。
それが次第に食べられなくなり、徐々に半分、またその半分と減っていきました。
本人は食べなきゃ食べなきゃと焦っていたようですが、実質食事は摂れなくなってきていたため、エンシュアやメイバランスなどの栄養剤を活用し、これでカロリー取れるからご飯食べなくてもいいよと納得してもらっていました。
栄養剤を使うようになったのは最期の1ヶ月ぐらいだったと思います。

もともと、施設の外に出てあれやこれや用事があったわけではありませんでしたが、食事と同じく3ヶ月ほど前から施設内のレクリエーションに参加しないことも増え、次第に寝ている時間が増えていきました。
筋力が落ち、なんとか歩けてはいましたが、少し動くと疲れるからと、最期1ヶ月はほとんどベッドの上での生活でした。

本人への告知
医師や家族からは、そろそろお迎えが来ることは直接伝えていませんでした。
昔の人ながらですが、例えば癌に極端なステレオタイプがあり、癌と聞いただけで「もうだめだ」となってしまう性格だったためです。
がんばらなくていいことは伝えましたが、生きる気力を奪ってしまわないようにという配慮でした。
亡くなる直前まで「おれはそんなに悪い(病状な)のか?」と言っていたようですが、自分で気づいて受け入れてはいたのでしょう。
もうやり残したことはない、悔いはないと言っていたと聞きました。
最期の1週間
眠っている時間もさらに増え、意識はもうろうとしてきました。
ただ、時間帯によってはしっかりではないものの覚醒し、多少会話ができることもあり、車椅子に座ってタバコを吸ったり、フルーツを少量口にしたり、風呂に入れてもらったりすることもあったようです。
やがて血圧が測れなくなり、呼びかけに応答がなくなり、いよいよかと思って夜に駆けつけましたが、「よく寝ていた」と翌朝には起きてきたこともありました。
臨終はもう少し先になるのか、いやそんなことはないだろう、などと思いながら半ば忘れかけていたところ、未明に施設から「呼吸をしていないようだ」と連絡がありました。
息を引き取る瞬間には誰も立ち会えませんでしたが、まさに「眠るように」天に召されたのかなと思います。

息苦しいと言っていたこともなくはありませんでしたが、側から見て呼吸が促迫している様子はなく、痛みもなく、穏やかに最期を迎えられました。
まもなくだと予想もついていたため、先述の理由のため最期のお別れというわけにはいきませんでしたが、一通り近しい親族とは会って会話する時間も設けられました。
御礼
祖父母にはそれなりに貯蓄があったため、幸いにもいい施設で余生を過ごすことができました。
自宅にいても各種介護サービスで家族の介護負担を減らすことはできるものの、食事、風呂、トイレ、薬の管理など、決して楽ではありませんし、家にいるときは基本見守っていないといけないので、介護者はなかなか自分の時間が取れないでしょう。

※ 自宅における介護疲れ
施設にいても、最期のほうは家族が頻繁に訪問し、必要物品の買い出しなどを行っていたようですが、生活介助をほぼ全面的にスタッフの方々に行ってもらえるのは、とても助かったと思います。
3年弱だったかと思いますが、改めて、施設の方々に御礼申し上げます。
大変お世話になりました。
また、食事をまずいと言って申し訳ありませんでした。
代わりに謝ります。
医師目線では、バランスの取れた食事はとても大切かつ貴重ですし、同じようなメニューを毎食、家で作るのは至難の業です。
若いころから、バランスの取れた食事・味付けの濃くない食事が美味しいと思える食生活を心がけたいところです。
認知症の祖母はまだしばらくお世話になると思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。

上記の経過はあくまでも一人の人間の、一例です。
一般的なところもあればそうでないところもあります。
読んでくださった方々に共通するところもあればそうでないところもありますが、何かと参考になれば祖父も喜ぶと思います。
じーちゃん、これまでありがとう。安らかに。
